1988年1月「決断」 しかし、あるきっかけからどうしてもフランク・ロイド・ライトの建物が見たくなり、『行きたい。』からやがて、これをしなければ、次のステップに進めないような・・感情に支配され、さらに強く・・『行かなければならない。』と思うようになった。 ヒッチハイクは?レンタカーは?バス等交通手段は?建築ツアーは?バイクは? 様々な移動手段を考えた末に、ゆっくり自分のペースで、自分の足で隅々まで足を運ぶ事ができると考え、自転車を利用することを決断した。そう、今から思うと一番重要視した事は、自然や風土を感じられることと、人の声や表情・・・人を感じる速度で移動する旅をしたかったのでは? 自転車の方は5年前日本一週の旅をしているので、自転車、装備も当時のものをバージョンアップした形で準備することにした。しかし、自転車が国産品でタイヤが日本しか流通していないため、換えのタイヤを日本から持っていって運ぶこととなった。 資料集めを始めて1ヵ月後、ある人に教えを請うため大阪に向かった。その人は日本有数のサイクリストで日本人の中でも、早い時代に自転車世界一周を成し遂げた強ものである。 その時私の受けた落胆の方が大きいのではないか?と思いつつ、『俺は自転車で大陸横断するだけが、目的じゃあ~ない。』と強く言い聞かせるように大阪を後にした。 |
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