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hyodai

1988年1月「決断」
一年前私は念願の1級建築士を取得したのだが、ある考えからから就職せずにフリーターのような生活を1年以上過ごした。

しかし、あるきっかけからどうしてもフランク・ロイド・ライトの建物が見たくなり、『行きたい。』からやがて、これをしなければ、次のステップに進めないような・・感情に支配され、さらに強く・・『行かなければならない。』と思うようになった。
幸いお金の方はバイトと失業保険等からいくらかも持っていたから、お金の方の工面は困らなかった。
でも、見に行くにしても大陸に点在する建物を訪ねるだけでも、実質北米大陸を横断する事となり、かなり困難な行程になる事が大いに予想され、交通手段を何にするか?暫らく悩んだ。

ヒッチハイクは?レンタカーは?バス等交通手段は?建築ツアーは?バイクは? 様々な移動手段を考えた末に、ゆっくり自分のペースで、自分の足で隅々まで足を運ぶ事ができると考え、自転車を利用することを決断した。そう、今から思うと一番重要視した事は、自然や風土を感じられることと、人の声や表情・・・人を感じる速度で移動する旅をしたかったのでは?
その時から私は心の不安と闘いながら、自転車旅行の準備に取り掛かった。

自転車の方は5年前日本一週の旅をしているので、自転車、装備も当時のものをバージョンアップした形で準備することにした。しかし、自転車が国産品でタイヤが日本しか流通していないため、換えのタイヤを日本から持っていって運ぶこととなった。
それから、この前の自転車旅行は国内ということで、特別に何かを調べるとか、資料を集めるとか必要なかったのだが、今度は異国の地という事で、自転車旅行記とか旅の本を読みふけって資料集めに勤しんだ。しかし、英語が満足に話せないこともあり、読めば読むほど不安感でいっぱいになった。

資料集めを始めて1ヵ月後、ある人に教えを請うため大阪に向かった。その人は日本有数のサイクリストで日本人の中でも、早い時代に自転車世界一周を成し遂げた強ものである。
しかし、話をするうちに、こちらが北米大陸横断と聞いたとたん、彼は・・『アメリカですか?そんなに神経質にならなくても大丈夫ですよ。』と・・ろくなアドバイスをもらわなかったような気がする。
確かに向こうは未開の地を様々走る世界一周で、こっちは情報が氾濫している・・文明国アメリカ。 彼の少し落胆した気持は充分理解するが、、、

その時私の受けた落胆の方が大きいのではないか?と思いつつ、『俺は自転車で大陸横断するだけが、目的じゃあ~ない。』と強く言い聞かせるように大阪を後にした。

 

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