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hyodai

4月「不安」
地元岡山に帰った後ライトの作品全てが載っている洋書を買った。そこには、嬉しいことに全ての作品に住所が記載されていた。しかし、建物の内訳は一部を除きほとんどプライベート住宅だった。

私が思うのに建築の真髄と云うものは、建物の外観でなく内なる空間にあると思っている。『果たして建物内を見る事はできるのか?』 私は大いに自問自答した。そして、やがてある考えを思いついて私は受話器をとった。

電話のあて先は東京の建築有名出版社だった。その主版社はライト関係者と強い結びつきがあると聞いていたので、私は一途の望みを託して電話口で用件を一気に喋った。
『すいません。ライトの建物が好きでアメリカまで見に行きたいのですが、その時やはり、建物の中もぜひ見学したいのですけど・・どのような形をとれば可能でしょうか?とにかくぜひ中も見たいのです。』期待に胸を膨らませて私は返事を待った。

しばらくすると、担当者から以外な質問が私の耳に届いた。
『あなたは、大学か?大学院か?どこかで、研究をしているのですか?』
『いえ、わけあって、建築士の免許を取りましたけど・・今フリーの状態です。』
私は緊張気味に答えた。 すると担当者は『私たちは紹介するにしても、大学教授の紹介状を持っていってもらっています。』と、冷たく言い放った。 さらに担当者は『どのような形式で訪問したいのですか?』
私はたたみかけるような質問に躊躇しながら答えた。『・・自転車で行動して色々訪問しようと思っているのですが・・』

電話口に暫らく空白に時間が生じた。やがて・・『自転車ということはどんな格好で行くのですか?』・・・『多分・?短パンとTシャツと思いますけど』私が口ごもって答えると、担当者は冷たく言い放った。『なんのも紹介状がない上、そんな汚い格好で行くとは・・私たちは紹介者にはスーツで訪問するようにアドバイスしているのです。頼みますから私たちに恥をかかせないで下さい。』やがて怒ったような口調で担当者は電話を切った。
それから、私は電話の前で暫らく途方にくれ・・『さらに追い討ちをかけられたな・・』
と、一人呆然とつぶやいた。

こうなった以上ここまできたら頼るものは自分しかない。私は次の日からない頭を絞って考え抜いた。

先ず、北米の地図を広げ住所録から見たい建築をピックアップして、押しピンで目印をした。そうすると、漠然と頭の中に旅のコースが描かれてきた。
先ず、サンフランシスコがスタートで、次にロサンゼルス→フェニックス→そしてアメリカ中西部からニューヨークと、まさしく北米を横断するコースになったのである。

次には見学のお願いである。アドレスがあるので、知り合いの力を借りて、どうしても中を見たい住所に、計画表と、訪問のお願いの手紙を英語で書いて送封した。
内容を簡単に言うと、『ライトを信奉している日本人です。どうしても家の中を見せて頂きたいのです。そのために、自転車単独アメリカ横断をする覚悟です。山や谷、そして、砂漠までも越えて行きますので、お願いします。』

『アメリカ人の寛容さと好奇心にすがるしかないな。』私は、覚悟を決めた。
それからは、除々に大きくなる不安と闘いながら、身体と頭、そして心の準備であっという間に流れた。やがてその日がやってきた。その日は太陽が眩しい5月初旬であった。

 
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