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空港~飛行機「旅立ち」
大阪発成田経由サンフランシスコ行き、ノースウェスト航空が午後5時に、轟音を発し日本の空を旅立った。
眼下の成田が・・日本がどんどん小さくなっていく。
『もう~もどることができないなぁ~』初めての海外旅行が1人であることと、それがよりによって、自転車単独旅行なのである。私は機内で落胆し大きなため息をついた。まさに希望1割と不安が9割交錯する状態であったことは今でも忘れられない。
飛行機は順調に飛行しているようだった。もう日本の陸の影形も見えなくなっていた。
同時に自分の気持ちも少し和らいだような気がした。しかし、よく廻りを見渡すと外国人ばかり目が付いた。当然といえば当然なのだが会話内容がよく理解できなかった。しばらくすると飛行機が乱気流に突っ込んだせいでひどく機体が揺れだした。すると、しばらくしてCAが私の傍にきて何事か?早口で囁いた。『☆◆▲』⇒『????』私が理解できないのをみるや彼女は私のシートを押し上げた。私はそれだけのことが理解出来ない自分に唖然とした。同時に『この程度の会話がわからないので大丈夫なのかなぁ~』と自身を追い詰めている自分がいた。

出発して3時間ほどたったころ1人で思案にふける私に声をかけてきた日本人がいた。
話をするとこの人は立石電気本社の社員で名前を諸橋さんといい、この秋からシカゴのほうへ転勤になるらしく、その前にサンフランシスコ、そして、ヒューストンで英語語学学校に入学し本場の英語を学ぶ予定であることを教えてくれた。その彼が『隣の席が空いているのでこちらにこないか?』と誘ってくれたので、少し迷ったが申し出をこころよく受け彼の隣の席に移動した。また、そこの席の隣にオクラホマに英語を学びに行くという、加藤君という青年も居て、数少ない日本人がひとつの場所を占めた。加藤君に聞くことによると語学力についてかなる不安を覚えていてかなり緊張しているようにみえた。しかし、諸橋さんはかなり海外に精通しており、加藤君共々色々アドバイスを受けた。これほど言葉が通じるのがありがたいとは・・私は実感として日本人ということを意識した瞬間だった。やがて機内も暗くなり諸橋さんの勧めで睡眠をとることにした。しかし、緊張か?不安のせいか?とても眠ることができなかった。隣をふと見ると加藤君も、そして、なんと諸橋さんも眠れないらしい。やはり私を含めて三人は観光でなく、また、たった一人で海外生活を、一年近く目的を持って過ごさなければならないことが、眠れない原因なのであろうか?と私は勝手ながら解釈をした。

アメリカ時間朝6時、暗闇が少しずつ溶けてきているのがわかった。私は機内の窓を閉めているシャッターを少しだけ開けて外をみて息をのんだ。快晴のカーブがかった蒼い空から今まさに太陽が昇ろうとしていた一瞬だった。『こんな綺麗で壮大な風景があるのか・・』私は美しさに心を打たれ、同時にこの旅をやり遂げる勇気も同時に得たような気持ちになった。『この旅の出足は運がいい。』と私は眠い目をこすりながらつぶやいた。
朝9時30分アメリカ大陸が飛び込んできた。そすがに、その時は不安の色が隠せなくなってきた。同時になさけないことに明け方とうってかわって、飛行機がこのまま日本に引き返して欲しいと真剣に思った。そして、サンフランシスコの町並みも眼前に広がり、午前10時にサンフランシスコ空港に無事着陸した。そのとき・・廻りのアメリカ人であろうか?着陸の瞬間に大きな歓声と拍手が響き渡った。しかし、さすがに私たち三人はお互いに目を合わせて苦笑いをした。しかし、その後リーダー格の諸橋さんが『元気出して頑張ろう。』と二人に声をかける。『そうですね・・ここまで来たら覚悟を決めましょう。』
と私が威勢よく応える。そして、私たちは夢に向かって同時に席を立った。

 

 
 

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