福祉建築は剱持設計にお任せ下さい
hyodai

1988年5月(サンフランシスコ・到着)焦り
 入国審査も無事終わり、3人一緒に空港ロビーへ・・・緊張の一瞬である。その時突き刺すような強い日差しが私の中に飛び込んだ。『暑い。』未だ5月中旬前だというのに、サンフランシスコのこの暑さに気持ちが重くなる自分を発見した。
やがて、諸橋さんの好意を受けタクシーでダウンタウンに向い、20分程走ると、やがてサンフランシスコの街が見えてきた。よく聞かされていたカリフォルニアの青い空、そして、青い海と白い高層ビル群・・その時わたしは身体の中に熱い血が騒ぐのを感じた。
そして、やがてタクシーはシスコの英語学校の前で停まり、ここで諸橋さんとお別れの時を迎えた。『頑張って自分の夢をやり遂げや、気をつけて行ってや。』と彼が去り際に言った。そのときわたしは『ありがとう。あなたのおかげで不安なくシスコの街に来ることができました。』と言い、心の中で『ご縁がありましたら』と言って力強く握手をかわし、別れのあいさつを交わした。
 諸橋さんが去り、わたしと自転車だけがダウンタウンの坂道に取り残された。その時不安が一気に膨らんだが、それにしても、わたしの自転車入りの大きなザックが異常に目立つのか?こちらを見てニヤリと笑う人、指差す人。話しかける人たち、道行くひとたちの尋常ではない目線を感じた。このような周囲の注目を浴びる旅がこれからニューヨークまで続くのだ。と思ったら、そこには青白い顔をした緊張しきったわたしが居た。
しかし、萎縮するまえにホテルもなにも決まっていないのだから行動をすばやくしなければ・・・とわたしは立ち上がり早速移動手段である自転車の組み立てを進めることにした。
 しかし、周辺を見渡しても公園のような広いところは見当たらなかった。しかたなくわたしは比較的危険が少なそうな広めの歩道に自転車が入ったザックを運ぶことにした。そこの歩道は少々傾斜があるが人通りが少ないので、ザックを広げ自転車・工具・シュラフ・テント・衣類・炊事道具等を取り出し、早速自転車組み立てを急いだ。しかし、初めての異国の国で緊張しているのだろうか?いつもは1時間ぐらいで準備が終わるものが一向に作業が進まない。また、通りいく人たちが訳のわからないことを次々言うのもあり、作業が一向にはかどらなかった。太陽もだんだん傾いていき午後3時も過ぎたころ、宿無しであるわたしの焦りはピークを迎えた。

 結局自転車組み立てと準備に3時間以上要して、今夜の宿を予定しているサンフランシスコの海沿いにあるユースホステル目指して、やっと出発準備ができ、わたしは祈念すべき第一歩にあたるペダルを踏み込むことができた。

                 top_image

 
 

次へ