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hyodai

1988年5月(ニューヨークへ・出発)不安と希望
 サンフランシスコは大変坂が多い街だ。市街地でほとんどフラットな道に出合うことはない。日本で充分トレーニングをつんでいないこともあり、坂道をペダルでこいて進むどころか・・早速自転車を押すはめになった自分を攻め立てた。また、道中では大きな荷物を積んだスタイルが人気をよんだのか?行き交う人々から注目を集めることへの羞恥心と、行き交う人から質問を浴びてもまともに受け答えができない英語力・・など、これで果たしてニューヨークまで自転車で行けるのかであろうか?と、わたしの頭の中にサンフランシスコの街並みを記憶できないほど多くの不安がよぎった。
 午後5時30分、空港のインフォメーションでもらった地図を頼りに、また、人聞き伝いに、全身汗びっしょりで目的のユースホステルに到着した。そこは、ゴールデンゲートブリッジが見える海沿いの美しい公園にあるユースホステルで建物も大変美しかった。その時わたしは『アメリカ初日の記念すべき宿としては出足としては調子いい。』と勝手に思い込んだ。しかし、玄関のところに外国人の旅行者がたくさん居た。どうやら日本人は居ないらしいことが分かった。わたしは先ほどの元気はどこにいったのか、わたしは緊張してしまい彼らの輪に入っていけず途方にくれて、いたずらに時間を浪費した。すると暫らく時間がたち一人の青年がわたしの自転車を見つけて近づいて来た。彼は『どこから来たんだ?』・・・『日本から』・・・『その自転車はなんだい?』・・・『この自転車で大陸横断してニューヨークに行くのさ。』・・彼はびっくりした表情を見せながら『ウォーそいつは凄い。それも日本から・・』と言った。彼はその後わたしを連れて小さな小屋に連れて行った。そこには、自転車がありそれを指差し『僕もサイクリストなんだ。これが僕の自転車。』
と言い、さらに『僕はロサンゼルスをスタートしてシアトルを経由してカナダに入り、やがてニューヨークにこいつと行くんだ。』と言い、そして、彼がニヤリと笑った。
彼が言うには彼はアメリカ中部に住んでいて大工の仕事を辞めてこの旅を計画したらしい。
わたしはその時、歳も仕事も経緯も似ている彼に親近感を覚えて固い握手をかわした。
 彼が大変陽気で気さくな人物でわたしを先ほどの人たちに紹介してくれ、自転車が珍しいのか?一瞬にわたしの廻りには人垣ができた。やがて人々から色んな質問をあびたが、言葉が不自由にもかかわらず、わたしは除々に心が充足するのが感じた。やがて、気持ち的にも元気がみなぎり、わたしはフロントに勇ましく飛び込んだ。
 しかし、なんと運の悪いことに・・玄関で長話をしていたこともあり、つい先ほどベッドがなくなったことを聞いた。わたしは時間も遅いこともあり必死で、そこのソファーでもいいから泊まらせてくれるよう頼み込んだが、『規則』ということで固く拒否された。

 『アメリカ初日の晩だというのに泊まるところがない。』とは・・『せっかく仲間ができ楽しく過ごすことができると思ったのに・・』時間を見ると6時半になっていた。いくらサマータイムといってもこの時間から新しい宿を探すことを考えたら・・・本当に途方にくれたわたしが居た。
 
 

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